あゆの里は、令和2年豪雨災害から、1年程の休業を経て、令和3年8月にグランドオープンしました。自然災害から感じ、学んだことを人吉球磨の地域づくりや旅館経営に活かしたいと前を向く社長・有村充広さんと若女将・有村友美さん。あゆの里の未来を担うお二人にお話をうかがいました。

人吉に来るのは、これで3回目です。2014年にあゆの里のお部屋から球磨川を眺めて、その悠久な川の流れに心を委ね、ゆったりとした気持ちで贅沢な時間を過ごしたことが忘れられません。ですから豪雨災害の映像を観た時には、球磨川沿いに建つあゆの里さんを思い、気が気でなかったです。
まずは8月のグランドオープン、本当におめでとうございます!

ありがとうございます。令和2年豪雨災害があった7月4日は、新型コロナウイルス感染拡大のために、4月から6月まで休業し、6月20日から再開したばかり。この日も100名程のお客様がお泊まりでした。

お客様が100名も! お客様やスタッフさんは無事でしたか?

おかげ様で、みな無事でした。ただ、当日は午前7時過ぎに浸水しはじめて、8時半には2.35メートルも浸水しました。(※ロビーの波のマークの写真を入れる) あまりに短時間の出来事で、呆然としてしまいました。人吉で生まれ育った私もこんな豪雨は初めての経験でした。

翌日に「JTB旅ホ連」からバスを出して下さいまして、お客様はそのバスでお帰り頂くまで、うちにいてもらいました。駐車場のお客様の車は散乱していました。

最も大切な源泉は大丈夫でしたか?

無事でした! 2017年に新たに掘削した鮎里源泉(あゆの里が独自で保有する温泉の源泉)は今も変わりなく、こんこんと湧いています。8月12日のプレオープン当日に、常連さんが「前と一緒のお湯だったよ~」とおっしゃってくださいまして、本当にほっとしました。

良かった!安心しました。
あゆの里さんの「鮎里源泉」のお湯はとろとろとしています。透明感がある美しいお湯ですね。湯あたりしにくいですし、客室から、大浴場から球磨川の風を受けながら長湯したいお湯です。広い露天風呂やデッキチェアがある大浴場「蔵の湯殿」と「山並みの湯屋」は、球磨川と共に長い間、ここで暮らして来た人吉の人たちに想いを馳せたくなる環境ですね。

はい、お客様にもそういって頂いております。

泉質はナトリウムー塩化物・炭酸水素塩泉。温泉分析表を見ますとまず目につくのは、保温保湿に絶大な効果を発揮するナトリウム成分の含有量。これは温まりますね~。それにナトリウムは保湿効果もあります。また肌の不要な角質や毛穴の汚れをとる作用の炭酸水素塩の成分も多い。そうすると、「ゆったりと眺望を楽しんでいるうちに、汚れが落ちて、保湿保温しっとり美人なる」そんな印象です。

ありがとうございます。
実は、温泉にはもうひとつエピソードがあります。玄関先に、鮎里源泉を祭った温泉神社がありますが、お社が豪雨で流されてしまったんです。

え! 温泉の神様が流されたとは……。

でも、見つかったんです。SNSで、「お社が流されてきた」と投稿してくださった方がいまして、それを見たスタッフが「女将、うちの神社です」と教えてくれました。あれだけの土砂と建物が崩れた中で、お社が見つかったのは奇跡のようなことでした。
ただ神様そのものは流されていましたので、社長と兵庫県有馬温泉にある有馬温泉神社にお参りに行き、お祓いをして、有馬温泉神社の宮司さんから御霊代を祀る儀式をしていただきました。鮎里源泉の神様は、有馬温泉神社がルーツだと聞いています。

無事に終えられて、本当に良かったですね。

これまでは相良藩の12代目当主の相良為続が明応元年(1429年)に井口八幡宮に参詣し、その帰りに、湯楽寺で湯治をしたと言い伝えられてきました。

へ~、今から約600年前に当主が湯治したんですね~。

ただ正確な資料がなかったので、今回、人吉温泉の歴史を振り返るいい機会だと思いまして、私どもから熊本県に依頼し、さらに調査をしていただきました。すると、天文5年(1536年)11月22日付けで、相良藩当主が「薩摩瀬で湯治を5日する際には必ず側近1、2人が同行する」と記した文書(「同然長状写」)が見つかりました。

そうすると室町時代には、人吉温泉が既に活用されていて、当主が湯治をしていたのは確かな事実であるとわかったわけですね。

今回のことで、史実の発掘にもつながりました。人吉の市街地の温泉開湯は、明治時代初期です。この頃、人力で掘り抜き井戸を掘削する「上総掘り(かずさぼり)」の技術が確立したことで、人吉温泉が発展しました。

ところで、休業中は再建に向け、何をされていたのでしょうか?

災害にあうと、町が真っ暗になるんです。だから私は人吉の街に光を灯したいと思いました。そこで日本各地の灯りをテーマとした街づくりを視察しました。そして令和3年2月に球磨川や橋梁、11月には国宝青井阿蘇神社や人吉城祉、球磨川下りの発着場「HASSENBA」周辺のライトアップにつながる活動をしていました。

暗くなった町に「光」を灯すなんて、なんて素敵なお考えでしょう。

現在は夜の町歩きも愉しめる環境づくりに取り組んでいて、再開した各旅館のお風呂を巡る「温泉御朱印帳」も発行します。
最も大切なのは、観光地としてだけでなく、人吉の子供たちが夢を持てる場所にしたいということです。その想いから「人吉の未来を開くスカイランタンプロジェクト」も実施中です。僕は人吉に、灯りをともし続けたい。

休業中は宿のコンセプトを練り上げる期間、考える時間でした。
災害以前は考える間もなく、日々、目の前の仕事をこなすことで精いっぱいでしたから。その意味では貴重な時間をいただけたという思いもあります。

旅館が土砂に飲み込まれてしまったという衝撃的な経験は、旅館経営に重要な変化をもたらしたのではないでしょうか?

「自然は壊れてしまう」と豪雨災害で思い知りました。ですから、決して壊れてしまわない人吉温泉の歴史の物語を紡ぎたい。そんな想いを込めて、あゆの里のブランドコンセプトを作りました。
あゆの里を、人吉を最大限に愉しむプラットホームにしたいと考えています。
例えば、うちの旅館はどこにいても球磨川をご覧頂いただけます。球磨川の風景を取り入れた旅館の造りです。お食事も同じ思いでメニューを作り、素材は地元のものを使っています。食材についても、人吉球磨のことはスタッフ全てがご説明できるようにしております。

まさに、あゆの里に滞在すれば、そのまま人吉温泉や球磨地域の魅力に触れられるわけですね。私も常日頃、「旅館は地域のショールームであって欲しい」「地域との接点となり関係人口を増やすきっかけになってほしい」と願ってきましたので、そのお考えに強く共鳴します。

若女将 また、自然の猛威を痛感したからこそ、地球に優しい宿を目指したくなりました。その流れでサスティナブルやSDGsについて意識するようになりました。

環境に配慮した宿を目標にされている。いま最も注目されている大切な観点をお持ちになったんですね。
温泉は地球の資源です。特に日本においては、地震が多発する代わりに神様が与えてくださった恩恵です。私はいつも「お湯を頂戴します」という気持ちで、手を合わせてから温泉に入ります。

「お湯を頂戴します」って、いい言葉ですね。まず自然への感謝の気持ちですね。結局、豪雨災害で私たちが学んだのは自然を大切にしなければということでした。

この他にも、今後実施されることがありそうですね。今後のあゆの里さんのお取組みに注目しています。豪雨災害という大きなアクシデントを乗り越え、進化するあゆの里さんのこれからを楽しみにしております。頑張ってください!

取材・執筆 山崎まゆみ
温泉エッセイスト・跡見学園女子大学兼任講師(観光温泉学) 日本をはじめ世界32ヶ国の温泉を訪問。著書に『女将は見た 温泉旅館の表と裏』(文春文庫)等多数。